1977年のMr.カラー誕生から今年で40年。模型と密接に関わってきたMr.カラーは「どうやって生まれ、どう変化してきたのか」。当連載では、当社とMr.カラーの歴史をご紹介してまいります。(不定期更新)

第二回までで、旧グンゼ産業時代から現在のGSIクレオスにおけるホビー部の成り立ちについてをご存じ頂けたかと思います。連載第三回の今回は、ホビー部はいかにして商社であるグンゼ産業時代の中において、メーカー的な機能を持つに至ったかをご紹介致します。ここからいよいよ、Mr.カラーをはじめとした模型用塗料を手掛けてきた歴史のお話となります。

■メーカーとしての第一歩

当社が米レベルと日本総代理店契約を結んだのは1962年。当初はレベル製プラモデルの輸入を行なっていましたが、1964年になると金型の貸し出しを受け、生産もするようになりました。
 

当時の米レベルは世界に向けた製品展開として、西ドイツにドイツレベル、イギリスにイギリスレベルという子会社を設立し、各国の模型メーカーに金型を貸し出して生産指導を行なっていました。世界各国でレベルブランドのプラモデルが生産されていましたが、当社が成形・パッケージングを開始したことで、日本もその仲間入りを果たすことになったのです。
 

このプラモデル生産事業により、当社は初めてメーカーとしての一面も持つことになりました。レベルとの提携は1977年まで続きましたが、後期には借りた金型を使った生産だけでなく、国内で金型の製作を行ない、1/72紫電や銀河などを生産してレベルブランドで販売するまでに至っています。

■模型用塗料の新規開発に着手

日本で国産のプラモデルが初めて登場したのは、当社とレベルの提携から遡ること4年、1958年のことでした。国産プラモデル誕生から50周年となる2008年には、幕張メッセで『2008全日本模型ホビーショー』と併催する形で『国産プラモデル発売50周年記念イベント』が開催されたので、覚えている方もいらっしゃると思います。

 

国産品が出てきたことで日本でもプラモデルを作る人が増え、それにつれて塗装をしたいという声も高まりつつありました。しかし、プラモデル用塗料を取り巻く状況は厳しい状態で、なかなか一般的にはなっていきません。

 

米レベルはすでにプラモデル用塗料を販売しており、当社でも輸入を手掛けておりました。しかし、レベルの塗料はアメリカの気候に合わせて作られていたためか、比較的湿度の高い日本の環境では乾きにくく、定番商品の地位を得ることは難しい状況でした。

 

日本国内でもプラモデル用塗料を製造・販売するメーカーは存在していたのですが、色数が原色系の10色ほどしかなく、必要な色を自分で混色しなくてはなりませんでした。レベルのプラモデルはレベルの塗料に基づいて色の指定がされていたため、それに合う色を作り出すのはかなり難しかったようです。この塗料はプラスチックを侵すこともなく塗料としてはかなり上質だったのですが、実際に使うにはハードルの高い物でした。

 

こういった状況の中、ユーザーの要求に合う塗料をお届けするのも使命のひとつと考えた当社は、日本の気候にあったプラモデル用塗料の自社開発に乗り出します。とはいえ、もともとの当社の事業の基本は貿易であり、塗料を製造するノウハウは全くありません。そこで塗料や樹脂材料の研究開発を行なう化学メーカーに相談し、オリジナルのプラモデル用塗料の共同開発に着手しました。

 

そして1973年。日本の環境に合う塗料がついに完成しました。これこそMr.カラーの前身である、日本版『レベルカラー』の誕生です。

次回は日本版『レベルカラー』の誕生秘話をご紹介致します。